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2007年10月25日 (木)

2007年10月25日 (木)

最近のこと。

ぷぽのお母さんのお母さん。

簡単に言うと祖母が10月21日に「クモ膜下出血」で息を引取りました。

こないだミー子さんが亡くなって、2ヶ月も経ってなかったので、

バタバタしていてなかなかブログ更新できないでいました。

昨日は、告別式をして、本当に最後のお別れをしたのです。

10月20日に祖母が倒れて、救急車で運ばれ、その時ぷぽも一緒に乗ったのですが

「頭が痛い」と言いながらも、救急隊の人に気を遣って、

「気持ち悪くて吐いてしまいそうだから周り汚さないように」とか痛いのに淡々とお話していました。

病院について、すぐに意識がなくなってしまって、

声をかけても、無反応。

そんな状態が続いてました。

そして、10月21日。

眠るように祖母は亡くなりました。

兄弟の中でも、ぷぽが一番甘えるのが苦手で、なかなか傍にいれなかった時期もあって、

祖母の目が10年前から全盲になったとともに、ぷぽの家に連れてきて、

家族みんなで介護をしていたのです。

音楽が好きで、踊りが好きで、何よりも明るい人だった。

「人間はとてもモロイんだ」って痛感したのと、冷たくなった祖母の身体を擦ってはそう思いました。

なんだろう。いなくなってしまうと、いい思い出ばかりがよぎってしまう。

まるでフラッシュバックのように頭の中を駆け巡るのですよ。

ぷぽは、心停止したモニターと動かなくなった祖母を見たとき、

周りの泣きじゃくる姿とは裏腹に、全く泣かなかった。

泣かなかったというよりも、「空っぽ」になっていたんです。

病院から、家に冷たい祖母を連れて帰ってきて、一晩一緒に寝ました。

内臓が腐ってしまわないように大量のドライアイスが洋服の上から敷き詰められていて

どんどん身体は硬直していきました。

でも、どんどん祖母の顔は穏やかに、そして若返っていく過程を傍で見ていました。

それでもぷぽは涙一つ零れなかった。

御通夜になって、親族の方、親友の人たちが来てくれて本当に祖母は幸せだったと思う。

一晩が明け、告別式。

これがホントに最初に話した最後のお別れの日。

おばあちゃんの肉体が燃えてなくなってしまう日。

ぷぽは遺影を両手で持って、しっかりと歩いて火葬場に入り祖母を見届けました。

祖母が火葬されている間、ずっと母と火葬場の煙突から出る煙を見ていました。

「あの煙がバーバなんだね。」

「煙になってお空にいくんだね。」

母は、もう立つこともままならなくなっていました。

ぷぽは、背中を擦り、「バーバもお疲れさまだけれど、介護をしてきたお母さんもお疲れさま」と

言うことしかできませんでした。

煙になった祖母は、やっと何かから解放されたのかもしれません。

その時、初めてぷぽの中で何か「想い」が蘇えってきて、

「あぁ、バーバ死んじゃったんだ。・・・もういないんだ。」って涙が出てきました。

人の死は、とても言葉に言い表せないくらいに辛く悲しいことです。

でも、この死に逝く人たちを笑顔で見送ってあげれたら、

その人たちも、安心して成仏できるんじゃないのかなってぷぽは思います。

バーバ。最後にお櫃にヒミツで入れたぷぽからのお手紙、ちゃんと読んでくれたかな。。。

祖母は花が好きで、その中でも『薔薇』が好きでした。

薔薇には棘があって、縁起のいいものではないので、お櫃に入れるのはなかなかないのですよ。

だから、ぷぽにできることと考えたら、薔薇の絵を描いて、そこに手紙を書こうって。

真っ赤な薔薇の花の絵。

うまくはないけれども、祖母のためを思って描きました。

きっと今頃は、目も見えてるんだろうなあ。

バーバ、ありがと。

あなたがいてくれて、たくさん勉強になったし、ぷぽが笑顔になる日が多かったのも事実なのですよ。

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